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蒔絵・研究日誌

「蒔絵博物館 高尾曜のホームページ」の併設ブログ。
日々の研究の活動報告、展覧会観覧記録や歴史の話など、つれづれなるままに書いています。
Googleブックスの機能が退化

 この1週間、寝込んでいる間に、Googleブックスの機能が明らかに退化しました。一体何があったのでしょう。Google検索の検索画面でも「書籍」の位置が変わったので、何かあったのは確かです。問題は検索結果が1/5〜1/10に退化してしまったことです。おそらく著作権をクリアしていない文献の全文検索機能を停止したと考えられます。ネット上では誰もそのこと書いていないようです。

 5、6年前総務省『知のデジタルアーカイブに関する研究会』という会議にオブザーバーとして文化庁を代表して出席していました。その時に聞いたのがGoogleが莫大な費用をかけて、欧米の図書館の蔵書をスキャンし、OCRをかけているという話でした。これは個人的に大変有意義な情報でした。国立国会図書館はそれに追従する形で電子化を進めました。Googleブックスのことは多くの人が知っていて、つい数日前までネット上に当たり前に存在して、誰でも無料で使うことができた機能です。しかしその時、国会図書館の方はこれを「人類の叡智の結晶」だと評しました。私もその本当の意味を知った時、まさに人類の叡智の結晶だと思いました。これは通常のGoogle検索とは全く違う結果が出るもので、莫大な電子化費用と巨大なサーバーを使わないと実現不可能なものなので、まさに人類の叡智の結晶なのです。ただ単にネット上で本が読めるというものとは全く違う次元の話です。

 つまりこれは、私の漆工研究に当てはめるとこういうことです。図書館に籠って、あらゆる文献を一生かけて探したとしても見つけられないような、異分野のしかも何百年にもわたって人類が記録した膨大な文献を全文検索して、一瞬で情報を探し出してくれるのです。私はこの6年間に実に多くの恩恵を受けました。この6年間の小さな100の発見の内、40はGoogleブックスのおかげだと言っても過言ではありません。小さな発見の積み重ねは、いくつかの大きな成果にもつながりました。

 もし著作権が原因でこの機能が退化したとすると、おそらく再びこの恩恵に与かれる日は当分来ないでしょう。

| 研究 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
上洛
論文のための調べ物をしていて面白い資料を見つけました。慶応元年(1865)14代将軍徳川家茂第二次長州征伐のために東海道を上る際、宿所とした岡崎城で、3代将軍家光上洛した際に岡崎城に残して行った道具を使ったというのです。岡崎城にあったのは、
 一 大小掛 
 一 御湯桶
 一 御盥
 一 御燭台大小四本
 一 御手燭三本
 一 御網台子
 一 御衣桁
で、吉例だからお使いになるよう進言されて、実際にそれらの道具を使ったというのです。刀掛や燭台はともかく、湯桶や盥も使ったということです。家光の上洛1634年ですから、じつに231年以上経っていたものです。
 現代でも250年前の漆器は普通に現役で使えます。漆は丈夫です。当時の御用蒔絵師が、上質の材料で入念に作ったものを大事に仕舞い込んでいたでしょうから、湯桶や盥でも水漏れしなかったでしょう。ちなみに、将軍家茂は生きて江戸に帰ることはありませんでしたが。

私も来週末は、所用で半年ぶりに上洛します。
 
JUGEMテーマ:日本史
| 研究 | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
籬菊螺鈿蒔絵手箱図(鎌倉国宝館蔵)
 このブログがきっかけで新たな発見につながる、ということがよくあります。何年も経った後でも、ネット検索で引っ掛るからで、これはインターネットの普及のおかげです。
 2007年9月22日の蒔絵研究日誌鎌倉国宝館「籬菊螺鈿蒔絵手箱図」のことを書きました。この絵図が展示されているという情報を聞いて、鎌倉まで展示を見に行き、解説文に「幕末に柴田是真らによって手箱の修理が行われており、この時に写されたものかもしれない」と書いてあるものの、是真筆は違うのではと疑問を呈しました。ほかの本でも柴田是真筆としたものが過去にありますが、前から怪しいと思っていました。
 これについて一年以上前ですが、鎌倉市から調査を委嘱された東海大学馬場弘臣先生からメールを頂きました。鎌倉市がこの図について改めて調査を開始したのです。それからメールでやり取りをして判明したことは、絵図には「阿波国文庫」印のほかに「植松氏記」印もあり、巻末に漆で描かれた硯箱の図もあるということでした。さらに、もともとこの絵図が、鎌倉鶴岡八幡宮にあったものではなく、国宝館が入手したのは近年のことだということでした。それで近代の植松包美がこの手箱を模造していたことを急に思い出し、ほとんど謎は解明されました。
 もともとの手箱図は考えられていたよりもう少し古いようで、徳島藩主の蜂須賀家19世紀前半に作成させたと考えられます。「阿波国文庫」印はその時のものです。それが明治の後半には徳島から流出して、近代の蒔絵師、植松包美の所蔵となっていました。包美は巻末に硯箱の模写図も添えて巻子に仕立てて愛蔵し、それを元に手箱の模造もしたというわけです。柴田是真や中山胡民、小川松民は、この図とは全く関係ないことが明らかになりました。解明の過程で、北村昭斎先生、繁先生徳島市立徳島城博物館の小川裕久氏にも貴重なご意見を頂きました。御礼申し上げます。

詳細は馬場弘臣先生のブログをご覧ください。

→ 情報史料研究所ブログ
 

植松包美による手箱の模造
| 研究 | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
第38回漆工史学会総会・研究発表(会場 五島美術館)
38回漆工史学会の総会発表では、
1 宮越哲雄 X線CT調査を用いた琉球漆器の木地構造解析
2 福島修 「存星」定義とその変遷
の発表がありました。
1では、CTスキャンより、むしろストロンチウム同位体比分析によって、漆の木が生育した場所が日本中国かが分るようになったことの方が、新たな大きな進歩だと思います。CTスキャンでは角度によって木目を見誤ることがあるという、良い例だと思いました。科学分析の結果は常に正しいのですが、その結果をどう読むかによって、大局を見誤った美術史研究はこれまでにも多く有りますので、それに警鐘を鳴らすものとも言えると思います。。
2は、現在、五島美術館で開催されている存星展を分りやすく解説されたものでした。
 
JUGEMテーマ:日本史
| 研究 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏休みの調査
遅い夏休みを取っています。今日はフィールドワークっぽい調査です。上野駅から出発し、稲荷町の長谷川光祗の菩提寺へ行きました。残念ながら墓地が全くなく、墓石は発見できませんでした。そこから歩いて古満寛哉の菩提寺と梶川家の菩提寺へ。さらに歩いて東京文化財研究所へ。文献調べはあまりに久しぶりで、成果が全く上がらず諦めて退散しました。
 気を取り直して、以前からずっと調べようと思っていた御蒔絵師棟梁菱田家の菩提寺へ。どのように菩提寺を見つけたかは今はまだ明かせません。幸阿弥家の分家と言われ、幕末の菱田自得は御蒔絵師の最上位にあり、下絵師に若き日の河鍋暁斎を雇い、塗師にはあの渡邊喜三郎の先祖を雇っていたという、最高の下職集団を抱えていた蒔絵師です。もし墓石を発見し、さらに子孫がいて家系図を発見できれば、全く謎だった菱田家が全て解明でき、20年続いた私の菱田家調査の遠い道のりはこれで終わるはずです。巨大な山門広大な寺域、さらに参道からは大名墓も見え、期待に胸が高鳴ります。ところが受付で伺うと、意外にも菱田さんという檀家はなく、可能性のありそうな苗字も全て該当がありません。戦前の文献を見せたところ、戦災で史料を焼失し、全くわからないということで、逆に文献を提供することになりました。
 念のため無縁仏の墓石を見に行くと、2、300基もの墓石がびっしりと隙間なく林立して保管されています。中の方は物理的に調べようもありません。確認できる範囲は見ましたがありません。おそらく全ての墓石が残っていそうなので、確実にそこにあるはずなのですが、確認できないとは、何ともどかしいことでしょう。菱田家の系譜を解明する手がかりは、ここでぷっつりと切れました。余談ですが、無縁仏の墓石で珍しかったのは「駿馬一瞬」という碑です。これは松前公の愛馬の碑で、戦前はこのお寺の名物だったはずですが。確かに馬だから子孫はお参りに来ないので無縁仏といえばそうですが。。。今日は空振りばかりの1日でした。




 
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| 研究 | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
梶川論文完成
長い間ブログを休止していました。年度末で多忙をきわめたうえ、論文を書いていました。今年度のテーマ梶川です。去年のから書き始めましたが、調べなおすと次から次へと芋づる式に様々な発見があり、調査がぎりぎりまでかかりました。ようやくこの土日で完成しました。去年の山田常嘉よりもおもしろい発見続出でした。ご期待ください。
 
JUGEMテーマ:日本史
| 研究 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
梶川家墓所調査
昨日はまだ雪が残る中を、久々の現地踏査でした。梶川家の研究を本格的に始めてから16年、ついに明治以来、誰も辿り着くことができなかった梶川家の墓所を発見しました。蒔絵師の墓を発見することは、明治維新以来150年近くたち、戦前に知られていたもの以外はほとんど不可能であり、奇跡的です。特に幕府御用蒔絵師の墓としては、現在確認できているものとしては唯一のものです。
 この成果は近く論文で発表予定です。家紋が判明したので、蒔絵博物館の梶川家に家紋だけは追加更新しました。家紋は「太輪柰紋」でした。柰(からなし)紋は、梨切口紋とも呼ばれるものです。どうぞご覧ください。

蒔絵博物館 梶川家


 
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| 研究 | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
大石内蔵助「掟の盃」・「遊春盃」
国立劇場のプログラムを見て、大石内蔵助がデザインしたといわれる「掟の盃」あるいは「遊春盃」と呼ばれる蒔絵盃についてまとめておきたくなりました。これについては我楽多談義というサイトですでに考察されていらっしゃるので、参考にさせて頂きながら、情報を付加し、さらなる情報提供を頂きたいと思います。
 これらの盃は仇討を胸に秘めながら、敵の目を欺くため、あるいは本当に楽しんでいたために遊里で遊びほうけていた大石内蔵助が自らデザインしたとされる盃で、酒を飲むうえでの五箇条の掟が高札に書かれています。

 有名なのが赤穂の大石神社に所蔵のもので、高札を内蔵助自身がそぞろ歩いて眺めているものです。国立劇場プログラムの表紙はこれです。これは内蔵助の親戚、津軽大石家昭和42年に発見され、赤穂の大石神社に寄贈されたものです。先週の東奥日報の記事にも出ています。外箱に「宝永二年江戸明國院」という箱書きがあるそうです。高札には次のようにあります。

    定
一 喧嘩口論之事
一 下ニ置べからす
一 おさへ申間敷事
  但シ相手ニよるへし
一 したむへからす
一 すけ申間敷事
  但シ女中はくるしからす
         以上
月 日

つまり
一 酒席で喧嘩口論してはならない。
一 注がれた盃を下に置いてはならない。
一 無理に酒を勧めてはならない。
  但し相手による。
一 酒をこぼしてはならない。
一 人の酒まで助けて飲んではならない。
  但し女性で飲めなくて困っている場合は助けてよろしい。

といった内容で、一見厳めしい高札ですが、なかなか粋な内容です。

 もう一つが熊本藩主細川家の臣で、大石内蔵助切腹の際に介錯をした安場一平の家に伝わったとされるものを大石神社で模造し、配ったものです。これは高札のみです。下のものもその1つのようで、糸底に「大石良雄手造杯冩」の銘があり、外箱には「義士遊春杯」と題し、近代加賀の蒔絵師鶴田晴斎の銘があります。



高札の文は

   定
一 喧嘩口論堅無用
一 盃下ニ置べからず
一 したむべからず
一 おさへる事無用
  尤相手に寄可
一 すけ申事無用
  但し女はくるしからず

とあります。

 津軽大石家のものと安場家のものは近年までそれぞれの家の秘蔵品で、世に流布するはずもないのですが、実はそれ以外にもあり、かなり流布していたであろうことが推測されます。

 年代の確実なものとしては、遠州・石州定塗師加賀前田家御用塗師近藤道惠作のものです。明治元年に没した幕末の10代近藤道惠の作です。糸底に黒漆で「良雄」とあり、さらに透漆で「惠」と道惠の隠銘があり、共箱になっています。また他のものより大きめです。



高札の文は

   定
一 喧嘩口論之事
一 下に置くべからず
一 おさえ申間敷事
  尤相手によるべし
一 したむ事無用
一 すけ申間敷事
  但し女中ハくるしからず
 月 日

となっています。

他にも江戸期と思われる写しのものがかなりあります。


    定
一 喧嘩口論之事
一 下置くべからす
一 したむこと無用
一 おさへ申間敷事
  尤相手によるへし
一 すけ申事無用
  但シ女中はくるしからす
 月 日

とあり、裏に「大石太夫自画盃赤穂城東新濱邑吹田屋某所蔵今擬造為」と蒔絵され、糸底に黒漆で「良雄」と書かれています。

さらに下のものは



高札の文は

   定
一 喧嘩口論之事
一 下ニ置くべからず
一 おさへ申間敷事
  尤相手によるべし
一 したむこと無用
一 すけ申間敷事
  但シ女中ハくるしからず

とあり、これも裏に「赤穂吹田屋某所蔵大石太夫自画盃今小之」とあって、糸底に「良雄」とあります。
 
 赤穂には吹田屋町という地名もあって、もっともらしい由緒ではありますが、これが本当なら赤穂城断絶の前から盃が存在していたということになります。京都で遊び呆ける前ですね。他に、高輪泉岳寺にも同様な盃があると聞いていますが、まだ確認していません。いずれにしても高札の文は条文の順序や意味は同じながら語句が微妙に異なるので、何か伝説的なところから創出され、江戸後期にはかなり流布していたように思います。
 
| 研究 | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
中西松立斎と山田常嘉
中西松立斎仙台藩御用印籠蒔絵師ですが、経歴等がほとんどわかっていません。しかし私はかなり以前から、山田常嘉の門人と推測し、2005年の「近世蒔絵師銘鑑」にも推測として、そう明記しました。それは作風銘字の書き方、下絵の共通性からそう推測したのです。
 しかしついにそれを立証する資料を発見しました。幕末のことですが、文久2年5月中西喜太郎が病死し、十月に中西兼太郎栄光(栄祐)が相続して、扶持も下され、元治元年3月に22歳で公儀御印籠師御蒔絵師山田常嘉随身稽古していると藩の記録にあるのを見つけました。
 この人は「元治元年甲子六月朔日造 松立斎藤原栄光 歳弐拾二年」という銘(私はこの銘をずっと「栄元」と読んでいましたが、改めて見直して「栄光」と読み改めます)の「笹熊蒔絵印籠」を残した人です。この印籠は1998年に、ドイツのクレフィッシュ社のオークションの下見で実見しましたが、巨大な珍しい印籠でした。
 少なくとも幕末の若き当主が山田常嘉の門人であったことは確実であり、おそらく若くして父が没し、その祖、松立斎達栄山田常嘉の門人であったために、その伝手を頼って師事したのでしょう。小さな発見ですが、また少し真実に近づきました。
 
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| 研究 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
中山胡民作「七宝文蒔絵提重」
 蒔絵博物館中山胡民作「七宝文蒔絵提重」を展示しました。初公開です。

作品展示室 中山胡民作「七宝蒔絵提重」

| 研究 | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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