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蒔絵・研究日誌

「蒔絵博物館 高尾曜のホームページ」の併設ブログ。
日々の研究の活動報告、展覧会観覧記録や歴史の話など、つれづれなるままに書いています。
東京藝術大学 集中講義

今日は11年ぶり東京藝術大学工芸科漆芸での集中講義でした。前よりも多い40人ほどのの学生が集まっており、驚いたのは中国人の学生が多いことでした。みなさん熱心でした。今でも明治以来の手板で勉強しているそうです。これでしばらくひと休みできそうです。

| 研究 | 16:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
東海道神奈川宿本陣 石井順孝日記 ゆまに書房

20年前、ある蒔絵師を調べていて、途中で足取りが消えて追えなかったことがあります。

 20年経って新たな手掛かりをふと思いついて、ようやく解明できそうです。その間、何が変化したかといえば、ネット環境が変わり、デジタルアーカイブが進んだために、ようやく辿り着いたのです。昨日買い込んだ、この『東海道神奈川宿本陣 石井順孝日記』これを全部読めば、多くの手がかりを得ることができそうです。

 

| 研究 | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
特別講座「大名と漆芸品」(高知県立高知城歴史博物館)

高知城歴史博物館の特別講座で「大名と漆芸品」というテーマでお話をして参りました。

 

松皮菱の調度について、臼杵藩主稲葉家の売立に出ているものが14代豊熈の息女の婚礼調度であり、その一つがヤマコ臼杵美術博物館に所蔵されること(なんと昨年閉館していました)、高知県立高知城歴史博物館所蔵の松皮菱の調度は、その母の14代豊熈夫人で島津家から嫁いだ候姫の調度である可能性が高いことを初めてお話ししました。

 

また2代忠義夫人阿姫所用と伝えられる葵紋の雛道具の謎についても解明を試みました。これは2年前に、葵紋の雛道具に剣片喰紋と祇園守紋が消された痕跡があることが発表されたことを受け、12代豊資夫人で岡山池田家から嫁いだ豊姫所用ではないかとお話ししました。ただ葵紋を入れる理由に疑問が残り、自虐的に70%解明として、謎を残しました。

 講演後に渡部館長とお話しした中で、12代豊資が多くの徳川家を顕彰する事業をしたことを教えて頂きました。葵紋を入れる理由がないことが一つの証拠で、豊資自らが、妻の没後にその雛道具を使って阿姫伝説を作ったのではないかと思うに至りました。

 

現在展示中の松皮菱 三柏紋と花桐紋の化粧道具

 

現在展示中の葵紋の雛道具

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日本史

| 研究 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
柴田是真肖像の真事実判明

2007年「柴田是真生誕200年展」を開催した際、門人庄司竹真が描いた柴田是真の肖像画を初めて公開しました。図録の解説の中で、この絵は83歳の時に撮影した写真を基に描いたとみられ、長年是真に師事した画家の絵として評価しました。そしてこの肖像以外にかねてから知られていた肖像として、典拠不明ながら『柴田是真名品集』に76歳の自画像が掲載されていることを紹介していました。

 10年以上経って、今日、その自画像の典拠が初めて判明しました。その絵は水谷磯太編の六世川柳の追悼集(明治15年刊)に出ているもので、是真が76歳の時に描いた六世川柳像であることが分かりました。是真の自画像ではなかったのです。これによって、是真の肖像画は今のところ上記の庄司竹真筆の肖像しか存在しないということになります。

 

JUGEMテーマ:アート・デザイン

| 研究 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
水野越前守家の盃コレクション

去年の12月に突然出現して発見した資料群です。天保の改革で有名な浜松藩主で老中を勤めた水野忠邦に関係した盃類です。外箱や貼札・付札が一連のもので、水野越前守家の伝来品です。

 伝来が判明するのは、文化7年(1810)に水野忠邦の父、唐津藩主水野忠光(ただあきら)の41歳のお祝いに配った盃の残りが2つあるためです。忠邦の祖父、水野監物忠鼎(ただかね)が鶴の絵を描き、水野忠邦が「齢」の書をなし、父水野忠光が裏の書を書いています。箱書は忠邦なので、お祝い自体を忠邦が企画したのでしょう。水野忠光正室・清徳夫人の40歳の祝いの盃も残っています。

 この家のコレクションは、資料的には初代古満寛哉作「吉野蒔絵盃」古満欽哉作「日出山水蒔絵盃」二代長野横笛作「木賊蒔絵盃」、保雪作「富士高輪蒔絵盃」などが注目されます。

 

 初代古満寛哉の盃は、「寛」の字が珍しい行書体です。初代古満寛哉作、酒井抱一下絵「亀蒔絵三組盃」など、これまでに4点だけを確認していましたが、伝来が判明する作品が見つかったのは初めてです。

 長野横笛については、箱の貼札に「二代横笛作」とあり、同時代人によって書かれているので、明確に二代の横笛に注文したという認識があったことが分かります。

 いくつは、箱や札だけあって、既に紛失されてしまっているものもありますが、明治維新から150年も経っているのに、このような、うぶでまとまったコレクションが登場するのは、やはり日本国内ならではのことだと思います。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:日本史

| 研究 | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
Googleブックスの機能が退化

 この1週間、寝込んでいる間に、Googleブックスの機能が明らかに退化しました。一体何があったのでしょう。Google検索の検索画面でも「書籍」の位置が変わったので、何かあったのは確かです。問題は検索結果が1/5〜1/10に退化してしまったことです。おそらく著作権をクリアしていない文献の全文検索機能を停止したと考えられます。ネット上では誰もそのこと書いていないようです。

 5、6年前総務省『知のデジタルアーカイブに関する研究会』という会議にオブザーバーとして文化庁を代表して出席していました。その時に聞いたのがGoogleが莫大な費用をかけて、欧米の図書館の蔵書をスキャンし、OCRをかけているという話でした。これは個人的に大変有意義な情報でした。国立国会図書館はそれに追従する形で電子化を進めました。Googleブックスのことは多くの人が知っていて、つい数日前までネット上に当たり前に存在して、誰でも無料で使うことができた機能です。しかしその時、国会図書館の方はこれを「人類の叡智の結晶」だと評しました。私もその本当の意味を知った時、まさに人類の叡智の結晶だと思いました。これは通常のGoogle検索とは全く違う結果が出るもので、莫大な電子化費用と巨大なサーバーを使わないと実現不可能なものなので、まさに人類の叡智の結晶なのです。ただ単にネット上で本が読めるというものとは全く違う次元の話です。

 つまりこれは、私の漆工研究に当てはめるとこういうことです。図書館に籠って、あらゆる文献を一生かけて探したとしても見つけられないような、異分野のしかも何百年にもわたって人類が記録した膨大な文献を全文検索して、一瞬で情報を探し出してくれるのです。私はこの6年間に実に多くの恩恵を受けました。この6年間の小さな100の発見の内、40はGoogleブックスのおかげだと言っても過言ではありません。小さな発見の積み重ねは、いくつかの大きな成果にもつながりました。

 もし著作権が原因でこの機能が退化したとすると、おそらく再びこの恩恵に与かれる日は当分来ないでしょう。

| 研究 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
上洛
論文のための調べ物をしていて面白い資料を見つけました。慶応元年(1865)14代将軍徳川家茂第二次長州征伐のために東海道を上る際、宿所とした岡崎城で、3代将軍家光上洛した際に岡崎城に残して行った道具を使ったというのです。岡崎城にあったのは、
 一 大小掛 
 一 御湯桶
 一 御盥
 一 御燭台大小四本
 一 御手燭三本
 一 御網台子
 一 御衣桁
で、吉例だからお使いになるよう進言されて、実際にそれらの道具を使ったというのです。刀掛や燭台はともかく、湯桶や盥も使ったということです。家光の上洛1634年ですから、じつに231年以上経っていたものです。
 現代でも250年前の漆器は普通に現役で使えます。漆は丈夫です。当時の御用蒔絵師が、上質の材料で入念に作ったものを大事に仕舞い込んでいたでしょうから、湯桶や盥でも水漏れしなかったでしょう。ちなみに、将軍家茂は生きて江戸に帰ることはありませんでしたが。

私も来週末は、所用で半年ぶりに上洛します。
 
JUGEMテーマ:日本史
| 研究 | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
籬菊螺鈿蒔絵手箱図(鎌倉国宝館蔵)
 このブログがきっかけで新たな発見につながる、ということがよくあります。何年も経った後でも、ネット検索で引っ掛るからで、これはインターネットの普及のおかげです。
 2007年9月22日の蒔絵研究日誌鎌倉国宝館「籬菊螺鈿蒔絵手箱図」のことを書きました。この絵図が展示されているという情報を聞いて、鎌倉まで展示を見に行き、解説文に「幕末に柴田是真らによって手箱の修理が行われており、この時に写されたものかもしれない」と書いてあるものの、是真筆は違うのではと疑問を呈しました。ほかの本でも柴田是真筆としたものが過去にありますが、前から怪しいと思っていました。
 これについて一年以上前ですが、鎌倉市から調査を委嘱された東海大学馬場弘臣先生からメールを頂きました。鎌倉市がこの図について改めて調査を開始したのです。それからメールでやり取りをして判明したことは、絵図には「阿波国文庫」印のほかに「植松氏記」印もあり、巻末に漆で描かれた硯箱の図もあるということでした。さらに、もともとこの絵図が、鎌倉鶴岡八幡宮にあったものではなく、国宝館が入手したのは近年のことだということでした。それで近代の植松包美がこの手箱を模造していたことを急に思い出し、ほとんど謎は解明されました。
 もともとの手箱図は考えられていたよりもう少し古いようで、徳島藩主の蜂須賀家19世紀前半に作成させたと考えられます。「阿波国文庫」印はその時のものです。それが明治の後半には徳島から流出して、近代の蒔絵師、植松包美の所蔵となっていました。包美は巻末に硯箱の模写図も添えて巻子に仕立てて愛蔵し、それを元に手箱の模造もしたというわけです。柴田是真や中山胡民、小川松民は、この図とは全く関係ないことが明らかになりました。解明の過程で、北村昭斎先生、繁先生徳島市立徳島城博物館の小川裕久氏にも貴重なご意見を頂きました。御礼申し上げます。

詳細は馬場弘臣先生のブログをご覧ください。

→ 情報史料研究所ブログ
 

植松包美による手箱の模造
| 研究 | 13:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
第38回漆工史学会総会・研究発表(会場 五島美術館)
38回漆工史学会の総会発表では、
1 宮越哲雄 X線CT調査を用いた琉球漆器の木地構造解析
2 福島修 「存星」定義とその変遷
の発表がありました。
1では、CTスキャンより、むしろストロンチウム同位体比分析によって、漆の木が生育した場所が日本中国かが分るようになったことの方が、新たな大きな進歩だと思います。CTスキャンでは角度によって木目を見誤ることがあるという、良い例だと思いました。科学分析の結果は常に正しいのですが、その結果をどう読むかによって、大局を見誤った美術史研究はこれまでにも多く有りますので、それに警鐘を鳴らすものとも言えると思います。。
2は、現在、五島美術館で開催されている存星展を分りやすく解説されたものでした。
 
JUGEMテーマ:日本史
| 研究 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏休みの調査
遅い夏休みを取っています。今日はフィールドワークっぽい調査です。上野駅から出発し、稲荷町の長谷川光祗の菩提寺へ行きました。残念ながら墓地が全くなく、墓石は発見できませんでした。そこから歩いて古満寛哉の菩提寺と梶川家の菩提寺へ。さらに歩いて東京文化財研究所へ。文献調べはあまりに久しぶりで、成果が全く上がらず諦めて退散しました。
 気を取り直して、以前からずっと調べようと思っていた御蒔絵師棟梁菱田家の菩提寺へ。どのように菩提寺を見つけたかは今はまだ明かせません。幸阿弥家の分家と言われ、幕末の菱田自得は御蒔絵師の最上位にあり、下絵師に若き日の河鍋暁斎を雇い、塗師にはあの渡邊喜三郎の先祖を雇っていたという、最高の下職集団を抱えていた蒔絵師です。もし墓石を発見し、さらに子孫がいて家系図を発見できれば、全く謎だった菱田家が全て解明でき、20年続いた私の菱田家調査の遠い道のりはこれで終わるはずです。巨大な山門広大な寺域、さらに参道からは大名墓も見え、期待に胸が高鳴ります。ところが受付で伺うと、意外にも菱田さんという檀家はなく、可能性のありそうな苗字も全て該当がありません。戦前の文献を見せたところ、戦災で史料を焼失し、全くわからないということで、逆に文献を提供することになりました。
 念のため無縁仏の墓石を見に行くと、2、300基もの墓石がびっしりと隙間なく林立して保管されています。中の方は物理的に調べようもありません。確認できる範囲は見ましたがありません。おそらく全ての墓石が残っていそうなので、確実にそこにあるはずなのですが、確認できないとは、何ともどかしいことでしょう。菱田家の系譜を解明する手がかりは、ここでぷっつりと切れました。余談ですが、無縁仏の墓石で珍しかったのは「駿馬一瞬」という碑です。これは松前公の愛馬の碑で、戦前はこのお寺の名物だったはずですが。確かに馬だから子孫はお参りに来ないので無縁仏といえばそうですが。。。今日は空振りばかりの1日でした。




 
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| 研究 | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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