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蒔絵・研究日誌

「蒔絵博物館 高尾曜のホームページ」の併設ブログ。
日々の研究の活動報告、展覧会観覧記録や歴史の話など、つれづれなるままに書いています。
長命寺桜餅 
 東京もが咲き始めました。「長命寺の桜餅」を頂きました。有名な山本屋のものです。桜の葉をふんだんに3枚使って包んだもので、すこぶる美味なるものです。

 さてこの山本屋の幕末の頃の看板娘おとよは美人で3代豊国の浮世絵にも描かれています。のちに日本を開国に導いた老中阿部正弘に見染められて愛妾になっていました。安政の大地震の後、無事かどうか心配で、見舞いに下屋敷に駆け付けたという話を読んだことがあります。これだけ聞くと、良い話ですが、去年梶川家の論文を書いている時に発見した史料は、御蒔絵師梶川徳三郎の姉も阿部正弘側室になっていて、安政の大地震の際に阿部正弘を避難させて自身は圧死してしまったというのです。阿部家の江戸の菩提寺松平西福寺に葬られているということで調べましたが、改葬されて二十数人の女性の墓はまとめられているようで、それぞれの戒名は確認できませんでした。

 阿部正弘は好色家として有名です。将軍家慶最愛の上臈御年寄姉小路とも関係があったといわれています。私が今書いている菱田論文を調べていて出てきた史料でも、御細工頭梅田三郎右衛門が娘を妾に差し出して出世したことが書かれています。
 
 しかし阿部正弘が有能な政治家であったことは間違いありません。もし急死しなかったら、徳川将軍家初代大統領とし、戦後日本のようなアメリカ型の民主国家にもっと早く移行していたかもしれません。


 
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| 歴史 | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
ついに発見!幕府御用蒔絵師拝領地図面
菱田論文のまとめに入っているところですが、長らく探していた幕府御用蒔絵師拝領屋敷に関する原文書を、とうとう発見しました。ずっと、どこかにそんな史料があるのではないかと20年以上探していました。昨日の夜中にあるヒントを見出し、そこから調べ始めて、ついにまさに今、発見しました。これにより正確な位置、坪数等全て判明しました。成果は秋に公表予定です。

JUGEMテーマ:日本史
| 歴史 | 17:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
幸阿弥家の家紋が判明
昨日、ついに明治維新以来、誰も知ることができなかった幸阿弥家の家紋が判明しました。幸阿弥家の家紋は三盛桔梗紋でした。蒔絵博物館では暫定的に土岐桔梗紋を掲載していましたが、今回改訂しました。併せて、幸阿弥長孝だったのを幸阿弥家に再構成しました。どうぞご覧ください。

蒔絵博物館 江戸の蒔絵師 幸阿弥家


 
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| 歴史 | 11:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
日光東照宮 陽明門 壁画公開
 たまたまテレビを付けたところ、NHKの首都圏ニュース845日光東照宮陽明門の壁画公開のニュースが流れていました。陽明門側面の牡丹の彫物を外すとそれ以前に描かれていた松鶴が姿を表していました。どうやら密陀絵のようです。下絵を描くのは幕府御用絵師の仕事ですが、実際に描くのは蒔絵師の仕事です。1753年の時のものと言っていましたので、宝暦です。幕府御用蒔絵師を中心とした蒔絵師の仕事でしょう。確か古満家5代休伯も加わっていたはずです。先日のランガムコレクション第4回に出ていた、5代休伯作の白密陀鴛鴦蒔絵の印籠を思い出しました。
| 歴史 | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
青山骨董通り
 久しぶりに青山骨董通りを歩いてみました。20年前美術商・骨董商が軒を連ねていましたが、すっかり様変わりしました。美術商はほんの数えるほどしか残っていません。おしゃれなレストラン、ブティック、雑貨店などに変わってしまいました。
 この10年で日本の古美術業界はすっかり変わりました。原因はいろいろ考えられますが、まずはインターネットオークションの普及でしょう。流通の活性化までは良かったのでしょうが、その後、1,000円〜というのが流行ったのが良くなかったでしょう。最初に始めた業者は儲けていました。最終的には相場より高いくらいでしたから。ところがその後は最悪です。なにしろ、それまで美術商が決めていた値段というものを、購入者の方に委ねてしまって、モノの相場がなくなってしまったのですから。これは明治維新、関東大震災、終戦直後以来の相場の変化です。
 それに加えて東日本大震災です。これで日本人モノに対する価値観が完全に崩壊しました。被災地以外までもです。
 実は関東大震災の後も同じような現象がありました。これが回復するにはかなり長い時間が必要です。

| 歴史 | 17:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
中村仏庵像(東京国立博物館蔵)
 何度か、この蒔絵・研究日誌でも書いている中村仏庵ですが、大幅の肖像画東京国立博物館に所蔵されていることに偶然、今気づきました。
 「先哲像伝」に描かれていた顔と全く同じ異形の顔立ち、法衣の下のド派手な小袖、書が書きつけられた襟巻真っ赤な数珠、霊芝のような腰掛と、実に圧倒される姿です。こんな風変わりな老人が身近にいたら・・・当時の「お友達」の文人たちは、どう感じていたのでしょうか。
 背もたれに掛けた杖は、東海道の雲助から譲ってもらった竹杖に36人の文人、名家に頼んで揮毫してもらった句を彫りつけたという、あの杖のようです。
 足元に置かれた容器、何と「骨壺」と書かれ、「天保甲午正月八日」となっています。つまり仏庵自身の骨壺で、没した後で描いた絵ということでしょう。上の賛によると84歳没。これまで知られていた「馬琴日記」の正月7日、83歳没と、命日に1日ずれ、没年齢も1歳のずれがあります。どうもこちらの方が正しそうです。
 数年前にネット検索した際は、こんな作品は出てきませんでした。撮影日は15年前ですが、東京国立博物館が最近WEB上にUPしたのでしょうか。この絵の存在自体知られていませんでした。このような絵が見つかったのも、こうした新事実の掘り起しにつながるのも、デジタルアーカイブインターネットの普及による恩恵だと思います。

東京国立博物館 画像検索 中村仏庵像

蒔絵・研究日誌の中村仏庵関連記事1

蒔絵・研究日誌の中村仏庵関連記事2

| 歴史 | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
塩原多助一代記

今年は「塩原多助一代記」国立劇場において、歌舞伎の通し狂言で公演するようです。
 この話、元々、柴田是真三遊亭円朝に怪談のネタとして語ったのが始まりで、それから円朝が調査して、高座にかけ、さらに河竹新七が芝居にしました。
 柴田是真年譜にもこの事項を書き入れようと調べてみると、円朝に是真が語ったのは、明治9年(1876)7月のことのようです。幾日か日は忘れたと円朝は書いていますが、5月から7月13日まで、是真は京都博覧会の審査官で京都に行っていたので、7月後半のことになります。
 その日、是真は5合の酒松の鮓を取り寄せて、もてなしながら、この話を話してくれたそうです。円朝はすぐに構想を組み立て始めて、その足で本所へ取材に行ったというので、昼間のことだったようです。
 勤勉で、朝から晩まで仕事をした是真ですが、客が来れば朝からでも飲んだそうです。昼間から5合の酒とは酒好きの是真らしい話です。

国立劇場『塩原多助一代記』

| 歴史 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
「与兵衛寿司」
 ついでに与兵衛寿司も書いておきましょう。書いている内に、以前書いた気がしたので、
調べてみると、研究日誌の2007年2月13日にも書いていました。「与兵衛」は握り寿司の元祖で、なんと、わさびを付けることも、ここから始まったようです。味やや甘けれども模擬すべからざる好味を有し、もっとも婦女子の口に適す、とあるので女性に好まれたようです。
 
 柴田是真の長男令哉の嫁が、この二代の小泉与兵衛の次女です。最近読んだ話があります。是真は、困っている知人、友人にいつも分け与えてしまうので、この令哉の結納の時も、結納の品を整えるお金がなかったそうです。そこで、恵比寿大黒結納品を積み上げる図を描いて、結納品の代わりに贈ったという話です。
 確かに小泉与兵衛は明治22年の是真の作品展に恵比寿大黒図を出品しています。その絵は思い当たるものが遺作展の写真帖にあります。恵比寿と大黒が目録を見ていて、後ろに進物台があるものです。掛かっている覆いをよく見れば、柴田家の太輪剣片喰紋唐草です。年紀銘も75歳、是真の息子令哉が結婚した明治14年にあたりますので、これに間違いないでしょう。
 そんな名店の「与兵衛寿司」が閉店したのは昭和5年です。関東大震災後に全焼した店の土地を騙し取られたのが原因、と姻戚の方から聞いています。

東京国立博物館 柴田是真写真帖 恵比寿大黒図
| 歴史 | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
14代将軍徳川家茂の最後の大小拵の仕様書を発見
今日は振替休日でお休みです。少し前から調べたかったことを調べました。それは第2次長州征伐大坂城に進軍していた14代将軍徳川家茂が、慶応2年に大坂で新調した大小と小脇差のことです。今日、大小拵の分だけですが、詳細な仕様書を発見しました。刀身の銘も、金具の仕様と作者も、鞘の蒔絵も、柄糸、下緒の色までも詳細に判明しました。仕様書にはありませんが、鞘の蒔絵は間違いなく山田常嘉です。柄糸・下緒の色が勝色というのが、歴史を知る者としては泣けてきます将軍家茂は、半年後に大坂城で薨去されてしまったので最後の差料となったはずです。亡くなった後、どこへいってしまったのでしょうか。現存するのでしょうか。私は聞いたことがありません。増上寺の墓地から発掘されたのは確か束帯姿だったはず。別に大小もあったでしょうか・・・。これらの成果は、近く論文で発表します。
| 歴史 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
大阪城
 漆工史学会が中止になったので、まずは大阪城に行きました。大阪市暴風警報になると閉館にするようで、大阪歴史博物館大阪城天守閣臨時休館でした。大阪市街は雨も風も全然たいしたことありません。旅客機も普通に大阪の上空を飛んでいます。
 仕方ないので、仕事のために大手門千貫櫓などの写真を撮って回りました。大阪城に来るのは初めてですが、江戸城もそうですが、徳川幕府の城郭建築は実に壮大です。
 どこも博物館が開いていないので、京都に行ってきました。夜は大阪に戻り、心斎橋北むらにてすきやきを食べました。創業が明治14年戦災で一度焼失しているようですが、実に瀟洒な造作です。割り下を使わない関西のすきやきをおいしくごちそうになりました。夜になって、ようやく少し雨がひどくなりました。台風は岡山上陸中のようです。明日は予定通り姫路に行きます。ますます台風に近づきます。


千貫櫓と大手門

極楽橋と天守閣


心斎橋 精仁久壽喜弥奇 北むら
| 歴史 | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
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