Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< January 2020 >>
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
OTHERS
 

蒔絵・研究日誌

「蒔絵博物館 高尾曜のホームページ」の併設ブログ。
日々の研究の活動報告、展覧会観覧記録や歴史の話など、つれづれなるままに書いています。
<< 原羊遊斎作/中村仏庵書「蓮蒔絵入子鉄鉢」 | main | 「漆器って何ですか?」岡田准一 Growing Reed 収録 >>
中村仏庵の実像は?
GW中中村仏庵の資料を集めて読みました。ロバート・キャンベル氏や横倉佳男氏の論文も全て読みました。中村仏庵は本当はどんな人だったのでしょうか。
 逸話も多く残っているようです。仏庵は杖のコレクターでもあり、36本の杖を集め、文人・名家に揮毫を頼んで彫らせました。市河米庵は書家として有名だったので、ライバル心からか、わざと土が付くところに彫らせて常に汚すを喜んだ、という話など、あまり良い性格とはいえません。酒井抱一とも交流がありました。文政元年には抱一にも杖に発句を頼んだようです。抱一は
 これや此千とせの坂をつくね薯蕷(じょうよ)
と詠みました。
 江戸とその近郊に、多くの石碑を残しています。珍しい仏像や墨蹟、骨董品を集め、諸名家に讃を寄せてもらって併せて珍重し、またそれを他人に見せていました。時に掘り出した貴重な寺宝を元の寺院に奉納したりもしていて、仏教に深く帰依していたのも確かでしょう。しかし時に悪戯が過ぎることもあったらしく、良い評判ばかりではありません。良く言えばエンターテイナー、悪く言えば山師と思われていたのかもしれません。寛政9年、仏庵が妻子を伴って浅草観世音へ舟で詣でた際に、水面に天満宮の木像が浮かび上がってきたといい、享和元年に深川法禅寺に安置した、というのも奉納と表裏一体となった悪ふざけでしょう。
 滝沢馬琴の日記によると、仏庵が没して遺体を火葬にしたところ「舎利黒白一握ほど出候よし」という噂を書き留めています。そして「めづらしき事也」と書いています。最期までサービス満点のエンターテイナーだったと言えるのではないかと思います。

| 歴史 | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |









トラックバック機能は終了しました。
このページの先頭へ