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蒔絵・研究日誌

「蒔絵博物館 高尾曜のホームページ」の併設ブログ。
日々の研究の活動報告、展覧会観覧記録や歴史の話など、つれづれなるままに書いています。
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将軍家「将棋指南役」 将棋宗家十二代の「大橋家文書」を読む
増川宏一『将軍家「将棋指南役」 将棋宗家十二代の「大橋家文書」を読む』(洋泉社)という本を入手して、2時間ほどで一気に読みました。有名な将棋の大橋宗桂家ですが、華々しい家の歴史について書いてあるわけではありません。むしろ住居、収支などの生々しい現実が解き明かされています。

 私が蒔絵師の伝記を調べてきて20年間ずっと疑問だったことは、幕府御用蒔絵師の住居の問題です。今年『漆工史』36号に発表した「山田常嘉の文献研究」でもこの問題について提起し、山田常嘉の実住居の問題を保留にするとともに、御用職人の実態解明の必要性について書きました。ここ2か月ほど、御用達の住居についてかなり調べ、その実態がようやく分かってきました。能楽師なども拝領地の表通りを店舗にして町人に貸し、裏に住んでいたようですが、それはまだ良い方で、多くは拝領地を全部貸屋にして、本人は全く別の場所を借りて住んでいたようです。御蒔絵師も同様で、ほとんどは拝領地は貸屋にして、武家地に間借りして別の場所に住んでいたことがわかってきていたところです。御用達の商工人は、不動産業が本務を支えていたというのが、ここ最近の実感です。いずれまとまった成果になりそうです。

 この問題を、職種は違うものの詳細に現代に伝えてくれたのが、この本の元になっている大橋家文書です。大橋家も能楽師と同様に御用達町人の身分を与えられていましたが、家禄、扶持、家賃収入の合計の内、7割が拝領地からの家賃収入で、拝領地の近所の別の場所を借りて住んでいました。そして切絵図に出ている名前は拝領地の所有者であり、実際にはそこに屋敷はなくて、長屋が建てられ、町人が店子として住んでいたのです。長屋の区画と店賃まで書き入れた図面まで残っています。これは下級武士も同様だったので、切絵図が全く実態を表していなかったというのは衝撃の事実です。分かりやすく言えばこういうことです。時代劇に登場する町人の裏長屋が、実は下級武士御用達町人拝領地で、切絵図上は厳めしい氏名で表示されている(もちろん純然たる町人地の場合もありますが)ということがありえるわけです。そして切絵図を見て屋敷の主を訪ねても、そこには当人は住んでいないこともあるわけです。御用達職人「御城外御用の儀、一切無用たるべきこと」という細工所制規から、将軍家以外の仕事をすることは原則禁じられていたので、生活維持のために拝領地からの家賃収入が不可欠だったのでしょう。どうりで御用職人が拝領地を切望しているわけです。

 その他にも、この本では信長、秀吉、家康という天下人との関係が、寛政期の由緒書から突如登場することから、地位の向上のために創作されたと書かれています。蒔絵の幸阿弥家の資料なども同様の可能性を考えていましたが、おそらく遡ることができるのは秀吉までで、信長は無関係のような気がします。
 さらにこの本は、明治維新のことも、これまでの疑問に明確に答えてくれます。明治政府は、明治2年に御用達町人に士族の身分と禄を与えましたが、それを混乱期の誤りだったとして、明治4年に生産資本として2年分の禄を支給して解雇し、さらに明治5年に東京府は、能楽師、絵師、碁将棋など徳川家の遊興に関わる職の者を平民籍としたようです。どうやら維新ですぐに禄を失ったわけではなさそうです。 
 
 大橋家文書から御用達の実生活の真実に迫ったとても参考になる本でした。
 
| おすすめ図書 | 02:32 | comments(0) | trackbacks(0) |









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